オレブロ的歴史講座。
KTMの生き字引が語るこれまでの57年。第3回

サンペリグリーノでのシックスデイズトライアルに参加したペントンKTMとライダー。一番左がジョン・ペントン。

サンペリグリーノでのシックスデイズトライアルに参加したペントンKTMとライダー。一番左がジョン・ペントン。

ザックス製100㏄を搭載したペントンKTMの一作目。サスペンションやハンドルバー、フロントフェンダーなどはペントンがオーダーした仕様になっている。

ザックス製100㏄を搭載したペントンKTMの一作目。サスペンションやハンドルバー、フロントフェンダーなどはペントンがオーダーした仕様になっている。

ジョン・ペントンの事をもう少し詳しくお話しましょう。彼が最初にKTMにコンタクトをとってきたのが1966年の冬でした。そして具体的にアメリカで 発売するエンデューロモデルの生産を打診してきたのです。すでにモーターサイクルライダーとしてはもちろん、モーターサイクルショップの経営でも成功を収 めていた彼は、ザックスエンジンを積んだハンサのディーラーをやらないか、とある男に持ち掛けられます。ペントンはそのバイクに積まれたザックスエンジン の特性がオフロードライディングにマッチすることを見抜き、KTMでも使っていたことからこうした接点が生まれたようです。
スポーツライディングに適したオフロードバイクをどうやって造るのか。ペントンの要望は具体的でした。そして1967年春、その生産が始まります。それ からペントンとの関係はより深くなりました。正にこの出逢いこそKTMにとって高性能なオフロードバイク生産する礎となったことは間違いありません。
ペントンは1968年から1978年まで、アメリカでKTMのディストリビューターでした。デビューイヤーとも言える1968年、ペントンは15人のラ イダーを率いてクラブチームを作り、イタリアのサンペリグリーノで行われたシックスデイズトライアルにペントンKTMで参戦したのです。両者によって造ら れたオフロードモデルは、アメリカではペントンブランドで、ヨーロッパではKTMの名で販売されたのです。
ペントンKTMの生産から2年。1970年にKTMはそれまでOEM供給を受けていたエンジンを自社生産に切り替えます。第一作目は175㏄の空冷2ス トローク単気筒エンジンでした。これはアメリカでポピュラーだった250㏄とヨーロッパで中心的だった125の中間として、双方で競争力があるだろうと決 められたのです。1972年にはモトクロス用レーシングエンジンとして、250㏄と125㏄エンジンも生産を開始しています。これは175㏄エンジンを ベースに使っていました。250としては軽量でしたが、125としてはやや重たかったのは、こんな理由があるからです。またモトクロスのオープンクラス用 の385㏄エンジンの生産を開始します。

KTMのオフロードモデルラインは充実し、アメリカから始まった輸出が、イタリア、ドイツ、フィンランド、そしてフランスとヨーロッパへと拡大していったのです。(続く)

1968年、オーストリアのウイーンで行われたモーターサイクルショー。ストリートモデルの奥、ペントンKTMが飾られている。

1968年、オーストリアのウイーンで行われたモーターサイクルショー。ストリートモデルの奥、ペントンKTMが飾られている。

マッティグホーフェンでエンジンラインが可動する175㏄の空冷2ストロークエンジンにしてはシリンダーが巨大!

マッティグホーフェンでエンジンラインが可動する175㏄の空冷2ストロークエンジンにしてはシリンダーが巨大!

モトクロス用385㏄エンジンのテストを行うエンジニア達。

モトクロス用385㏄エンジンのテストを行うエンジニア達。

そしてこちらは250㏄エンジンの構成パーツを並べた珍しいカット。

そしてこちらは250㏄エンジンの構成パーツを並べた珍しいカット。

アメリカ向け6速エンジン。冷却用フィンの造形が印象的。ケースカバーに着くKTMのエンブレムが誇らしげだ。

アメリカ向け6速エンジン。冷却用フィンの造形が印象的。ケースカバーに着くKTMのエンブレムが誇らしげだ。