オレブロ的歴史講座。
レースシーンでの飛躍。第4回

ジョン・ペントンとの関係を軸にKTMのオフロードビジネスは成長し拡大します。エンデューロマシンを製作し、次により軽量なモトクロス用モデルの製作 に力を入れていきました。自社製エンジンのフルラインナップが完成したことで、我々はモータースポーツに力を入れていったのです。


すでにエンデューロなどでは一定の成果を上げていたKTMですが、モトクロスの世界グランプリで手にした初めての世界タイトルは格別のものでした。それ は1974年、250㏄クラスでの栄冠でした。KTMはロシアチームとともに戦い、ガナディ・モイセフによってそれは達成されました。また、1976年に は世界グランプリモトクロスの全てのクラスに参加するなど、その活躍の場が拡大していったことも70年代の特徴でした。アメリカではフラットトラックレー スにも参戦しています。
こうしたスポーツイメージを市販モデルにも転化し、1977年にはKTM ホビー・オートマティックというモペッドも発売しています。当時、ロードバイクに装着され人気を集めたキャストホイールを履くなど、スポーツバイク的な魅力を付加しています。
その後、1980年代に入ると、マシンの進化も加速してゆきます。まず空冷だったエンジンを水冷とし、2ストロークエンジンはその高い性能を安定的に引 き出す事が可能になりました。パワーユニットの強化はシャーシの進化も促します。すでに長いホイールストロークを左右2本のショックアブソーバーで担って いたリアサスペンションは、重心位置から離れた場所に長く重たいサスペンションユニットを装着することになり、高い運動性を上げるために新たな構造を生み 出す必要性に迫られていました。ライバルメーカー同様、KTMはプロ・レバーというリンク式モノサス方式を生み出します。

こうして世界中のモトクロスライダーからも注目を集めることになりました。1982年11月、後に250㏄クラスの世界チャンピオンとなるハインツ・キニ ガドナーとファクトリーライダー契約を結びます。その契約は当時、レースマネージャーをしていた私の仕事でした。(続く)

74年に初の世界タイトルをKTMにもたらしたモイセフの力走。写真は77年のもの。

74年に初の世界タイトルをKTMにもたらしたモイセフの力走。写真は77年のもの。

空冷エンジン+ツインショック時代のフレームシャーシ。

空冷エンジン+ツインショック時代のフレームシャーシ。

空冷エンジン+ツインショック時代のフレームシャーシ。

空冷エンジン+ツインショック時代のフレームシャーシ。

小型かつコンパクトに設計された水冷エンジン。シリンダーからは冷却フィンの名残が消えている。

小型かつコンパクトに設計された水冷エンジン。シリンダーからは冷却フィンの名残が消えている。

小型かつコンパクトに設計された水冷エンジン。シリンダーからは冷却フィンの名残が消えている。

小型かつコンパクトに設計された水冷エンジン。シリンダーからは冷却フィンの名残が消えている。