オレブロ的歴史講座。
時代の先駆けと時代の波。第5回

初めてハインツ・キニガドナーと契約をした時の写真。左は現在のキニガドナー氏本人、そして左が“生き字引”であるミスター・チェー。

初めてハインツ・キニガドナーと契約をした時の写真。左は現在のキニガドナー氏本人、そして左が“生き字引”であるミスター・チェー。

映し出されているのが1982年11月にハインツ・キニガドナーと契約を交わした時のものです。その後1984年、1985年とハインツは世界選手権モト クロス2501984年には創業者ハンス・トゥルンケンポルツがマッティグホーフェンの地で創業以前に興していた修理工場を立ち上げてから50年という節 目でもありました。その後も国内外のオフロードスポーツでKTMの活躍は続きます。1987年には自社製の水冷4ストロークエンジンLC4を開発しまし た。553KTMがOEMで使っていたロータックス製のものよりもコンパクトでモダンなものでした。市販モデルも1988年から用意され、2ストローク同 様高い戦闘力を持つモデルとして発売されます。
1989年12月23日、創業家の2代目、エリック・トゥルンケンポルツが亡くなります。その後、世界の経済状況が不安定な時期とも重なり1991年、 KTMは破産をすることになります。しかしそれからは現経営体制のもとでKTMはブランドスローガン“READY TO RACE”とともにスポーツモーターサイクルメーカーとして力強く再興します。

エンデューロやモトクロスの他、90年代になるとKTMはラリースポーツに力を入れていきます。モトクロスの一線を退いていたハインツ・キニガドナーをは じめ、スコット・ハーデン、ファブリッチオ・メオーニ、ヘルベルト・シェック、ユタ・クラインシュミット等々のレジェンドの他、女性も含め著名なオフロー ドライダー達がKTMチームでラリーを戦いました。1995年、ファラオラリーでの勝利がKTMの国際ラリーでの始めての勝利でした。また、キニガドナー はパリ〜モスクワ〜北京ラリーをその年に制します。今のように強靱な体制ではなく、当時ライバルメーカーがより高出力な2気筒マシンを擁するなか、LC4 で戦うKTMにとってその勝利は誇れるものでした。
こうしたラリースポーツでの信頼性の重要性やタフネスの必要性は、その後のKTMの市販モデル開発に大いに役立っているのです。2001年からダカールラ リーなどでの活躍はご存じの通りです。2003年にはストリート系モデルにLC8を搭載したアドベンチャーを投入し、同年RC8コンセプトを発表、程なく ロードレースの世界グランプリに活躍の場を求め、125、250KRチームへのエンジン供給など、大舞台への挑戦とストリートモデルの拡充を進めてきたの です。